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ショスタコーヴィチとアンダーソン、それぞれが生きた時代の美術

篠原誠司(足利市立美術館学芸員)

ドミートリ・ショスタコーヴィチ(1906-1975)は、国家が帝政ロシアから社会主義国家ソヴィエトへと移り変わり、さらに2度の世界大戦を経た激動の中を生き、それぞれの時代に翻弄されながらも、後生に残る数々の名曲を作曲し続けました。

ショスタコーヴィチが作曲家としての基礎をつくり上げた青年期のロシア美術に目を向けると、ロシア革命直後、西欧の豊かな前衛芸術を基盤としつつ、国家の後ろ盾をもって独特の美術が確立された、美術史の中でも希にみるものだったといえます。シュプレマティズム(絶対主義)を掲げ、世界のいかなるものも模倣せず、直感的な理性をもとにかたちと色彩のみで創作を行ったカシミール・マレーヴィチ、それに続き、美術の枠を超えてデザインや建築など多様な分野でも活躍し、抽象による表現を大きく広げたウラジミール・タトリンらによるロシア構成主義など、様々な芸術が社会主義を背景に花開いた瞬間でもありました。

一方、ルロイ・アンダーソン(1908-1975)は、ショスタコーヴィチとほぼ同じ時代を生きながらも、ロシア・ソヴィエトとはきわめて対照的なアメリカの戦前〜戦後を背景に、大衆に親しみのある数々の名曲を残しました。アンダーソンが活躍した1950〜60年代のアメリカ美術を振り返ると、1950年代は、ロシアのシュプレマティズムと同様に西欧の前衛芸術をもとにしながら、感情のおもむくままに大画面に烈しく絵具をぶつけることで、何ものにもとらわれない色彩とかたちの世界をつくり出した、ジャクソン・ポロックなどによる抽象表現主義が台頭しました。

さらに、美術の歴史や形式そのものを解体することを掲げて、画材ではなく日常生活の中で使われるモノも取り入れて制作を行った、ロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズらによるネオ・ダダイズムへと移り変わり、1960年代には、同じく美術の解体を目指し、商品や広告など日常で見かける様々なイメージをモチーフとして作品に取り入れた、アンディ・ウォーホルなどによるポップ・アートが広まり、豊かなアメリカ美術の系譜が芸術の世界を席巻しました。

篠原誠司 略歴

1988年多摩美術大学芸術学科卒業(第7代団長)

ギャラリー勤務・経営を経て、現在、足利市立美術館学芸員。現代美術、写真などの分野で様々な展覧会の企画を行う。近年では「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム展」、「涯テノ詩聲(ハテノウタゴエ)詩人 吉増剛造展」等を開催。