MESSAGES

ごあいさつ

東京五美術大学管弦楽団、通称「五美管」。当初、何のひねりもないそのままのこの名前にどこか座りの悪さを覚えながらも受け入れつつ、時には身近に、時に遠く自らの人生の中のどこかに置いて歩んだ歳月が気がつけば33年。長い人生の中で無為に過ぎ去る他の多くの事象と同じく、いつしか遥か彼方に明滅する星の名残の様に幽かに痕跡を残すに過ぎないものになると思っていた五美管が、今や切り離すことの出来ない私自身の一部となっている事に人生の妙を感じざるを得ません。

最初にご縁をいただいたその年は創立8年目、その当時にして既に長い歴史を感じ、創設者である木村さんは伝説の人になっていました。実に40年、今の現役生の方達の歩んだ人生のほぼ倍の歳月、すなわち産まれ出た赤児が次世代を築く中心となる「人」に成長する程の歳月を重ねて今に至る歴史ですが、その始まりはたった一人の素朴な思い「楽器が弾きたい」だったと伝え聞いています。その思いに1人、また1人と加わり、一滴の雫がせせらぎになり川になりいつしか大河になるように、五美管は今や立派なオーケストラに成長しました。

時として歴史は人の思いから始まり思いによって受け継がれる。その時々、ただただ無心に、多くの方達がそれぞれの輝ける青春の日々、夢や希望、安らぎ、癒し、様々な思いの尊い一雫を注いだ結果生まれた大いなる流れ、それが今日の「五美管」なのです。いつの時代も人が変わっても最初の思いは「楽器を奏でたい」であると言えましょう。この思いが続く限り、永遠に渇すること無き遥か天空の「天の河」のようにこの豊かな流れが失われることはないでしょう。

今回、40周年を機に私個人のそれこそ単純な「思いつき」で呼び掛けたにもかかわらず、創成期から卒業後間もない幅広い世代からの予想を上回る呼応に、これほどまでに音楽を求める方達がいて、世代を超えて喜びを分かち合い、結びつくことが出来る「五美管」という確かな存在と、数百年も人々を魅了し続け、様々な価値観の壁を易々と超えて心を一つにしてしまう「音楽」の素晴らしさを改めて認識するとともに、思いを共にし、その雫を注いで下さった全て皆さんに心から感謝するものでございます。

人の思は強い。その力の証左が「五美管」であり、このオーケストラであり、今回の公演です。

それは五美管の長い歴史の中に於いてはほんの一瞬の出来事ですが、抱いた様々な思いが凝縮し結晶化して輝きを放つ瞬間です。是非、私達の思いに暫しお耳を傾けていただき、皆様の尊い新たな一雫を注いで頂きますればこれ以上の喜びはございません。

東京五美術大学OB・OG管弦楽団代表
東京五美術大学管弦楽団第9代団長
杉野達也

ご挨拶に代えて

今は昔の確か'85年頃、ある偶然から五美管と関わらせていただくこととなり、その後'87年からチェロトレーナーとして、'97からは兼指揮者として、40年の歴史の中で32年もの長きにわたって携わらせて戴き続けたことは、それぞれの世代の団員さんたちの、音楽に対する真摯な姿勢に心打たれ続けて来たからこそと、改めて感じています。そして、今回の記念すべき演奏会に指揮という大役を仰せつかったことは、一音楽家として歓びと感謝に堪えません。今回参加して下さった旧団員の方々には、私が携わらせていただく以前の方、また指揮をさせて戴くようになる以前の方も多くおられますが、その方々を落胆させるようなつまらない指揮だけはしてはならないとの一念で練習に臨んで参りました。また卒団後の皆様の音楽との関わり方が実に様々なこともあり、限られた練習でどこまで一つのオーケストラとして纏めて行けるのか、という課題もありましたが、創立以来連綿と受け継がれて来た「五美魂」に支えられ、今日の演奏会を迎えることが出来たと思います。トレーナーとして呼んで戴いた初期は、世代が近かったこともあり、指導者と学生というよりは、友達感覚で一緒に音楽で遊んでいただいている気持ちで(若気の至りで数々のご迷惑をおかけしたと思います。)、今でもその感覚が少なからず続いているのですが、現在は親子ほども年齢が離れ、こちらが思うほどには仲間と思って貰えていないのでは?という一抹の寂しさも感じつつ、また時代の趨勢なのか、年々深刻になっている団員の減少と格闘しながら、それでも「五美魂」をしっかり受け継ぐ熱心な現団員の皆さんと共に、何とか音楽と深く楽しく向き合うことの出来る五美管を存続させようと、日々奮闘しております。この場をお借りして、なお一層のご支援をお願い致します。そんな五美管を応援しようと演奏会を企画して下さり、演奏や運営面で尽力下さった旧団員の皆様、そして旧団員、現団員も多く含まれるはずのご来場下さった皆様に、心より御礼を申し上げると共に、今後のご多幸をお祈りしております。そしてまたご一緒出来る機会を戴けるなら、これ以上の歓びはありません。

諸岡範澄

五美管40周年によせて

40年という年月を考えました。40年前に生まれた人は、今や社会の中心となって世の中を支え、私などはもう年金を受給するおじいちゃんとなりました。橋本の駅は(多摩美の場合です)小さな木造の駅舎で、ガランとしたロータリーの一角にあるレコード屋さんからは、キャンディーズの「ほほえみ返し」が流れていました.喫茶店では100円玉を積み上げてインベーダーゲームに熱中し、飲み会には竹中直人氏が乱入して「俳優になるぞ!」と叫んでいました。

管弦楽団という大きな組織であるが故の楽しみや苦労というのは、いつも表裏となってつきまとうものだと思います。この40年間、様々な問題を乗り越え、次の人にバトンを渡して連綿と継続しながら今日を迎えることができたのはすばらしいことですね。そして何人の人がここを通り過ぎ、大切な思い出を共有できたことでしょう。40周年おめでとうございます。

東京五美術大学管弦楽団初代団長
木村康