NOTES01

曲目解説

マーチQについて

私が五美管の指揮をさせていただくようになる前年の'96年に、その当時の楽器編成に丁度いい曲がなかなか見つからず、ならば作りましょうと数日で書いた曲です。Qとは私が書いた作品のたまたま9番目であったことと、私の映像体験の原点とも言えるTV特撮番組「ウルトラQ」にあやかっています。(ウルトラQのテーマが出てくる訳ではありません。)作曲後の数年間は秋コンサートの定番曲にして戴いていましたが、近年の団員は知らず、特にプレゼンもしていませんでした。今回再演して戴くことになり、大変嬉しく思っています。今回は当時使えなかった楽器が使えることもあり、若干のアレンジを加えた版で演奏します。

アンダーソンとショスタコーヴィチ

ルロイ・アンダーソンは、五美管では各世代を通じてしばしば演奏してきた作曲家であるが、そのアンダーソンとドミートリイ・ショスタコーヴィチは、2歳違いのほぼ同世代であり、奇しくも同じ'75年に亡くなっている。かたやアメリカ軽音楽の巨匠、かたや20世紀を代表する交響曲作家として広く知られるが、共に20世紀前半に流行した軽音楽のスタイル(注1)を積極的に採り入れており、共通した時代感覚を見い出すことが可能である。アンダーソンの洒落た響きを持つ数多くの小品は言うまでもないが、ショスタコーヴィチにもジャズ・オーケストラのための2つの組曲や幾多の映画・劇音楽を始め、交響曲にも軽音楽的な要素が多く認められる(注2)。

しかしながら、二人の作品にはそれぞれの国の社会状況が色濃く反映され、あまりにも対照的に響く。資本主義、商業主義の申し子さながら、お洒落で徹底して解りやすく、軽音楽の王道を行くようなアンダーソンの音楽に対して、ロシア・アヴァンギャルドの流れを汲む前衛的表現を身上としながら、スターリンが独裁政権を握ると、一転して社会主義リアリズム路線を強要されたショスタコーヴィチにおける軽音楽的な要素は、それぞれの民族性を考慮しても、アンダーソンとはかなり趣の異なる表情を持つことになった。

「勝利のフィナーレ」の持つ危うさ

私見だが、ショスタコーヴィチの軽音楽的な要素の多用は、特に【交響曲第5番】以降の交響曲の最終楽章において、壮大な「勝利のフィナーレ」を置いてしまうことへの、ショスタコーヴィチ自身の強い懸念とおそらく無関係ではない。それまでの作品のいくつかを当局によって完全否定されたのを受け、自己批判、路線変更したと見せかけ、ビゼーの【カルメン】のハバネラ(「ご用心!」)の旋律をかなり露骨に引用しているにも関わらず、「社会主義リアリズムのひとつの理想形」と当局から絶賛された【第5】(注3)。更にナチス・ドイツによって完全に包囲され、戦火と飢餓に苛まれていたレニングラード市民に勇気を与えただけでなく、秘密裏に楽譜が送られたアメリカ、イギリスでも大ヒットし、ファシズムに対する戦意高揚のための映画化の話(注4)まで出た【第7】の2曲に共通する、壮大な「勝利のフィナーレ」に聴こえる、聴衆に対するある種の思考停止を誘発しかねない終わり方を避けるために、別の形のフィナーレを模索したのではないだろうか。例えば【第5】の2年後に発表された、【第6】の、ロッシーニの「ウィリアム・テル」のスイス軍の行進のリズムをパロディにしたと思われる、ドタバタ軽音楽風のフィナーレ。【第7】の後は、戦争の悲劇性を内面的に描き、全体に暗く重く、フィナーレは仄かな明るさはあるもののピアニッシモで終わり、後にあまりに悲観的として当局から演奏禁止とされた【第8】。更に対ナチス・ドイツ戦争の勝利を受け、ベートーヴェンの第9を凌駕するような、合唱を伴う記念碑的な勝利の交響曲を期待され、「戦争三部作」の締めくくりとなるはずだった【第9】は、演奏時間が25分ほどの、嬉遊曲的な、全体的に「軽い」印象の交響曲となった。それは案の定、当局の期待を大きく裏切ったため袋叩きにされ、以降8年間も交響曲を発表しなくなってしまう。

【第7】以降の交響曲で、「勝利のフィナーレ」に聴こえる最終楽章を持つのは【第12】のみであるが、【第5】のそれと類似する終結部のクライマックスが、スターリンのイニシャルと読める「ミ♭・シ♭・ド」(Es・B・C)の強奏によって執拗に分断されるのが大変興味深い。

【交響曲第10番】について

'53年のスターリンの急死から間もなく発表された【第10】では、【第9】のものとして書き始めたが破棄された、悲劇的な表情を持つ断章の楽想が第1楽章の中心に据えらている。'47年に「第7、第8と続いた戦争三部作の真の完結編は第9ではなく、これから書く第10である」と友人に語っているが、'03年に発見されたこの断章によって、【第10】の作曲意図の一端が窺えるようになった。そしてクラリネットで奏される第1主題には、前出の「スターリン音列」が移調された形で組み込まれており、これは各部分で目立つ形で現れ、戦争を含む巨大な悲劇が「スターリン的な存在」(注5)によってもたらされることが暗示される。私はこの音列が移調せずに現れる【第12】で、【第10】解釈のヒントを示したと個人的に解釈している。

'79年に出版された『ショスタコーヴィチの証言』は、西側におけるそれまでの「ソ連の御用作曲家」というレッテルを払拭する契機となったが、それによれば、第2楽章は「スターリンの肖像」である。嵐が吹き荒れるような苛烈な音楽の中ほどで、ファゴットによって奏される旋律は「Очистите его. 」(粛清せよ)というロシア語のイントネーションと一致している。

第3楽章では、自身の名前を音列化した「DSCH(レ・ミ♭・ド・シ)」が頻出し、当局によって「踊らされている」自分を表すように自虐的に響く。その中間部以降では、悩みの数々を20数通もの手紙で打ち明けていた、作曲の弟子であった女性・エルミーラ・ナジーロヴァの名前を表す音列(ミ・ラ・ミ・レ・ラ)がホルンで奏され、それがマーラーの「大地の歌」の冒頭旋律に似ていることに掛けて、彼女への愛情を告白をするという特異なものとなっている(注6)。

そして最終第4楽章は、それまでの雰囲気とは場違いにも聴こえる、機智とユーモアに富んだ軽音楽風のフィナーレになったのであるが、もちろんそれは単純に明るいものではなく、疲れ果てたような悲哀、密告が奨励された異常な世相(注7)、市民が全体主義に巻き込まれ、破局へ向かって盲目的に突進していくような様相もカリカチュアライズして含ませている。そしてその流れを一蹴するように、高らかに「DSCH」が炸裂する。話が前後するが、第4楽章の序奏部は、ベートーヴェンの第9のそれをパロディにしていると思われる(注8)。ベートーヴェンでは、それまでの楽章の音楽を否定し、「歓喜の歌」を見出していくプロセスが描かれるが、戦争、人種差別、虐殺、恐怖政治、友人の粛清などを体験して来たショスタコーヴィチは、心情として素朴に歌うことのできない「歓喜の歌」に代わる、「ユーモアを武器に戦う人への応援歌」を導き出していく。アレグロ主部冒頭で、クラリネットで奏される調子っ外れな「タッタタ!」は、自分自身の苦境も笑い飛ばすような、格好悪くも毅然とした決意表明に聴こえるのである。

今、ショスタコーヴィチの音楽と向き合うこと

今回前半に演奏するアンダーソンの「シンコペーテッド・クロック」の中間部に、偶然にもそっくりな「タッタター」というフレーズが登場する。同世代でありながら、それぞれの個性の違いに加えて、生きて来た環境による音楽の風景の違いを、そこに聴き取るのも一興である。そして、他に類を見ないショスタコーヴィチの独特の底知れない深い哀しみと力強さを湛えた音楽は、皮肉にも精神的、物理的な抑圧による苦痛によって獲得されたことも否定出来ない。当時の人々を多面的にに苦しめた、権力者たちの果てしない欲望に起因する社会の歪みは、現代社会において、少しも改善していない。そればかりか、利己主義、不寛容という、あの腐臭を放つ亡霊が再び大手を振って街を闊歩さえしている。ショスタコーヴィチの音楽は過去の遺物ではなく、現代においてその輝きを増している。彼の音楽の苦味や痛み、そして知的で飄々としたユーモアを味わい、思索することは、現代を生きる私たちにとって、今こそ必要なことではないだろうか。もうすぐ社会を担うことになる若者たちの心に、ショスタコーヴィチの魂の叫びが届くことを切に願っている。

  • (注1)当時は軽音楽全般をジャズと呼ぶことも多かった。
  • (注2)交響曲第1番、第4番、第6番、第9番、第10番、第15番など。
  • (注3)「フィナーレが長調のフォルテッシモで終わるのでなく、短調のピアニッシモだったらどうなっていたか。考えただけでも面白いね」と友人の指揮者ボリス・ハイキンに語っている。
  • (注4) 映画化の話をショスタコーヴィチは固辞している。監督は後にジョン・ウェインなどの名優とのタッグを組むハワード・ホークスが決まっていた。
  • (注5)スターリンのみならず、ヒトラーやムッソリーニ、フランコなどの独裁的存在全てを含むと思われる。
  • (注6) 愛人ではないかと噂のあった彼女への書簡の公開によって明らかになった。
  • (注7)序奏部分のオーボエ独奏で示され、アレグロ主部でも頻出する特徴的な音型は、「арестовывать」(逮捕)という単語のイントネーションと一致している。
  • (注8)ベートーヴェン同様、終楽章で歌うべき歌を導き出す「レチタティーヴォ」的な手法は、自らの【第9】でも簡略な形で試みている。

(以上 文・諸岡 範澄)

J.シュトラウス:喜歌劇「こうもり」序曲
~ウィーン音楽界のドロ沼親子~

ヨハン・シュトラウス2世の父親で当時そこそこ有名な音楽家であったヨハン・シュトラウス1世は、なぜか息子の音楽人生を妨害しまくります。息子がせっかくバイトして貯めたお金で買ったヴァイオリンをぶっ叩いて壊してみたり、その後の音楽家デビューを自分のコネやワイロすら駆使しまくって失敗させようと企てたり。まるで美味しんぼと東海TV昼ドラとギリシャ悲劇を足して4で割ったような、ぷち壮絶なドロドロなのでした。いやまあそんな父親の妨害にもめげず息子ヨハン・シュトラウス2世は父親とか軽く超えちゃう大スターになってゆくわけですが。さてこの喜歌劇「こうもり」序曲。トムとジェリーがこの曲をBGMにして追っかけっこするぐらいの超有名曲ではありますが、ヴァイオリンが無駄に上手な作曲家の作品にありがちな欠点があります。それは何かと言いますと、、、1stヴァイオリンが変に難しい!!!こんなのさらっと弾けないです(号泣)

(以上 文・1st Vn和田 翔)

J. シベリウス:アンダンテ・フェスティーヴォ JS34

1995年秋のコンサートで演奏して以来、年代を超えて幾度となく取り上げられてきた、ごびかんの「魂のうた」ともいえる弦楽合奏曲です(後半にティンパニが加わります)。

静寂に包まれた朝の聖堂にすっと陽光が差し込むかのような、はかなくも荘厳な雰囲気で始まり、希望をたたえた旋律が徐々に力を増しながらうたい上げられます。「いろいろ苦労もあったけど、皆でここまで来られた……」そんな感慨も湧き上がってきます。

(特に)現役時代にこの曲を演奏したことのあるOB・OGは、よみがえる思い出に(こっそり)涙せずにはいられないはず。管楽器は降り番ですが気持ちは共にあります。

J.ブラームス:大学祝典序曲 Op.80

ブラームスがブレスラウ大学より名誉博士号を授与された際、その返礼として作曲したものです。曲中には4つの学生歌が巧みにちりばめられ、「大学」が象徴する希望や若々しさ、また「祝典」の華やかで楽しい雰囲気にあふれています。本日は、OB・OGより現役のごびかん(大学生)に向けての応援歌として演奏します。

(以上 文・Tp 坂 本 陽 子)